One minute
MVVよりも「我々はどんな問いの答えを探求するのか」を知りたい
ミッション・ビジョンよりも実は『問い』の方が重要なんじゃないか、と最近思うんです。
特に企業おいてM(Mission)・V(Vision)・V(Value)はよく見られます。 また個人でも自分のミッションを見つけて形にしようと奔走している素晴らしい人たちもいます。
最近ではPurposeもよく聞かれます。
僕はサラリーマンですが、会社を選ぶ際はミッション・ビジョンが明瞭でプロダクトに分かりやすく表現されていること、という点をとても大事にしています。
僕の好みで言えば、
Schooの「世の中から卒業をなくす」
Yamapの「地球とつながるよろこび。」
Airbnbの「誰でもどこでも居場所が見つかる世界(Belong Anywhere)」
壮大でありつつ、彼らが何をしたいのかがはっきりイメージできる。素晴らしいと思います。
いわゆる「存在理由」を定義するってことだと思うので、それについて考え決めることで 皆一丸となって同じ方向へ向かえますし、とても意味のあることだとは思います。
ただ、なんか、なんでしょうか。僕は、常に違和感を感じています。
「存在理由」の正しい答えはこれだ!と言われているように感じるというか。 我々はこのために存在している、これが唯一の真実だ、と決められているような感覚。
そもそも人類は「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という自分自身の存在理由をまだ知らないと考えています。僕自身も、自分が何のために生まれ死んでいくのか分かりません。
そもそもスタートラインが分からないので、集団になってもそれは同じだと思います。 そんなふうに分からない中でも「自分(たち)なりの答えを決めようよ」という理屈はその通りなのですが、
それに続く「本当のところはわからないんだけどね」というエクスキューズも含めて考えたいと思います。
何が言いたいかというと、「我々はこのために存在する」ではなくて「我々はどんな問いの答えを探求するのか」が定義されていた方が個人的には腹落ちしやすいなぁという話です。
例えば「人間にとっての真に幸福な学びとはなにか」「なんで人は誰かと繋がると幸せなのか」「地球や大自然と人類はどういう関係性であるべきなのか」とか。僕個人であれば「最後死ぬときに"ありがとう"と言える人生とはなにか」という問いだったり。
もちろんすぐに答えの出ないそんな「問い」だけを掲げてしまったら会社はバラバラでまとまりがなくなってしまいますけどね。
その答えを探求する旅の途上で「〇〇をする」というミッションを掲げ、目標や計画を立てていくのであればしっくりきます。
— さて、我々はどんな問いの答えを探求するのか —
なんてことをぼーっと考えていたので文章にしてみました。
おやすみなさい。